大学時代 | 当時流行していたバイオテクノロジーを勉強しようと、関東の大学の生物学科に入学。 数学や情報工学の講義にも出席し、情報工学の先生の「これからはコンピュータが世の中を変える。君たちは借金してでもパソコンを買って、コンピュータの勉強をしろ。」という言葉にだまされて、当時学生の身分では決して安くはないNECのPC98という16ピットパソコンを購入してプログラムの勉強を始めた。 最初に勉強したプログラム言語は、PC98にROMで搭載されていたN88-BASICだった。 この頃は、8ビットのパソコンがまだ現役で使われていたり、回転円盤がガラス製のハードディスクは超高価で、主な外部記憶装置が外付けの5インチフロッピーディスク(研究室では8インチのフロッピーが現役だった)だったり、利用可能なメモリ空間が640KBだったりと、今のパソコン環境と対比するとまるで原始時代だった。 |
院生時代 | 中部地方の大学の大学院に入り、原形質流動に関わるタンパク質の運動特性を研究。 今から思えば、プログラマーには必要の無い生物学の知識や実験手法を習得して、日々データを収集するのに明け暮れた。 この頃、実験結果を解析するための距離測定プログラムや統計解析プログラムを、当時ボーランドが出していたTurboCというコンパイラを使って自分で開発して使っていた。 大学の図書館にはC言語の本は何冊もあり、それを読めば言語自体は理解できるのだが、「TurboC」という製品の使い方がわからずに苦労した。 例えて言うなら、電子回路を組み立てる場合に、複数の電子部品の組み合わせ方はわかるのだが、実際に基板に電子部品をハンダ付けする方法がわからないような感じだった。 |
新入社員時代 | プログラミングが面白くなり、生物学をやめて大手電機メーカーに入社。 ところが、仕事で上司から命令されてやるプログラミングは全く面白くなかった。 それでも、何事も修行と思い、月200時間に及ぶ地獄のような残業の日々に耐えながら、黙々と作業をこなした。 この頃やった仕事としては、
特許庁のホームページから本山稔で検索すると表示されます。 また、USAで認可された特許には、US Patent 5829045 があります。 |
ベンチャー時代 | 前の会社の社内ベンチャー制度で設立したベンチャー企業の立ち上げに加わった。 立ち上げの数年間は、新入社員時代にも増してすさまじい日々だった。 ただ、自分たちで自分たちの舵取りを行うことの楽しさは、将来に対しての不安や肉体的な辛さを超える充実感を与えてくれた。 この頃やった仕事としては、
特許庁のホームページから本山稔で検索すると表示されます。 |
2007年4月〜 | 合同会社シーサイドソフトを設立しました。
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2018年12月 | 法人格を合同会社から株式会社に変更しました。 |